日本のパーソナルトレーナーの歴史を作った人物
個人的な基準で日本のパーソナルトレーナーの歴史を作った人物を挙げてみたいと思います。いううなれば、日本のパーソナルトレーニング業界に一石を投じたとも言える人物です。
ただし、私、パーソナルトレーナーおぜきとしあきの非常に個人的な見解です。そして、ボディメイク、ダイエット、パーソナルトレーニングの方法や考え方は、私とは異なりますが、日本のパーソナルトレーナーの歴史であると思う方々を選ばさせていただきました。
このパーソナルトレーナーは選ばれるべきとか、このパーソナルトレーナーはそれに値しないとか、こんな名前聞いたこと無いとか、ご意見、ご批判が出ることは承知します。記載は、順位不同です。
ケビン山崎氏
自身のパーソナルトレーニングジムを米国シアトルに創設し、のちの日本でパーソナルジム「トータルワークアウト」を創設。野球選手の清原氏のパーソナルトレーナーを勤めたことでも有名。自身のパーソナルジムの運営では、パーソナルトレーナーによってのサービスのバラ付きや職人色の出やすいパーソナルトレーニングプログラムの提供を、どのパーソナルトレーナーが担当しても、ある一定にレベルを保てるように標準化しシステム化に成功した人物である。
渡辺実氏
日本でパーソナルトレーナーを職業として名乗って活動する人がまだ数人だったころからの日本におけるパーソナルトレーナーの第一人者。また、日本人が海外のボディビル大会に出場することが当たり前になっているが、その出場スタイルを30年も前に行いアメリカでタイトル獲得した海外活躍ボディビルダーの第一人者でもある。その出場遠征の際には、同行の出場選手の最終仕上げのトレーニング指導を現地で行い、彼のそのオリジナリティある、理にかなったパーソナルトレーニング指導を現地のアメリカ人が見て、指導を依頼されるほどインパクトある指導者でもある。
松井薫氏
任天堂「Wii Fit」監修をされて、「徹子の部屋」出演され、日本の歴史を作られたパーソナルトレーナー。
大川達也氏
大川達也が元メジャーリーガー野茂英雄投手の専属トレーナー。いちトレーナーが、指導のため、自分の専用パーソナルトレーニング施設を構える概念すらなかった、その時代に、自身のパーソナルトレーニング専門の施設を東京港区に構えて活動を行っていた、先見性と行動力のあるパーソナルトレーナーである。当時から、指導とは別に、雑誌のトレーニング監修やトレーナー育成にも力を注がれたパーソナルトレーナーである。